送った金より先に、相手が消えた。──アプリで出会った『彼』の正体を、どこまで辿れたか
相談室に来る人には、二種類の顔がある。泣きながら来る人と、笑いながら来る人。この日の女性は、後者だった。笑いながら、「私、たぶん、騙されたんだと思います」と言った。笑うしかない、という笑い方だった。
この手帖には、noteに書いているような、情の物語は書かない。あっちで書くのは、人の心のほうだ。ここで書くのは、仕事のほう。一件の相談が、どういう手順で「調べる」に変わり、どこまで辿り着いて、どこで壁にぶつかるのか。手の内には、書ける線と書けない線がある。書ける、ぎりぎりまで書く。
今回は、相手が「消えた」件だ。マッチングアプリで出会い、結婚を匂わされ、投資の話で金を渡し、そしてある朝、アカウントごと、相手がこの世から消えたように見えた——そういう相談だった。
消えたのは、相手じゃない。相手の「名前」のほうだった
まず、彼女が持ってきた材料を、並べさせてもらう。
アプリで知り合ったのが、半年前。プロフィールの職業は、海外勤務のエンジニア。写真は、清潔感のある、感じのいい男。やり取りはすぐにアプリの外へ移り、毎日、朝と夜に連絡が来た。数ヶ月で「落ち着いたら結婚したい」という話になり、それと前後して、「今しか入れない案件がある」と、投資の話が始まった。何度かに分けて、指定された口座へ、金を送った。金額は、書かない。彼女の名誉のためじゃない。金額を書くと、読んだ人が「自分はもっと少ないから大丈夫」と、油断するからだ。額の大小は、この話の本質じゃない。
そして、ある朝。アプリのアカウントが消え、メッセージアプリはブロック、電話は不通。彼女の手元に残ったのは、スマホの中の会話履歴と、送金の記録と、保存していた数枚の写真だけ。
ここで、多くの人が勘違いする。「相手が消えた」と。違う。消えたのは、相手じゃない。相手が名乗っていた名前と、見せていた顔が、消えただけだ。 名乗った名前の裏に、生身の人間は、必ずいる。金を受け取った口座の名義も、どこかに実在する。だから相談員として、私が彼女に最初に言ったのは、これだった。「消えたように見えているだけです。まず、その人が『誰なのか』から、はっきりさせましょう」。
「実在するのか」を、三つの角度から確かめる
正体を確かめる、と一口に言っても、確かめたいことは一つじゃない。彼女が抱えていた問いは、突き詰めると三つに分かれた。
ひとつ。写真の男は、実在するのか。それとも、写真そのものが他人のものなのか。ふたつ。もし実在するとして、その男は、独身のふりをした既婚者なのか。みっつ。金を送ったのは、自分だけなのか。同じ手口で、他にも被害者がいるのか。
この三つは、調べ方も、辿れる深さも、まるで違う。
写真の真偽は、比較的、早く見当がつく。プロフィールに使われていた顔写真が、実は無関係な他人の——たとえばどこかの国の、まったく別の職業の人物の——画像を流用したものだった、というのは、この手の件では珍しくない。どうやって突き止めるかは、書けない。それが商売道具だ。ただ一つ言えるのは、「素敵な写真ほど、疑う値打ちがある」 ということ。作り込まれた人格は、たいてい、作り込まれた写真から始まる。
既婚かどうか、実在の人物として何者なのか。ここは、送金の記録が効いてくる。金の受け取り口座、連絡に使われた番号、やり取りの中でうっかり漏れた断片——本人はバレていないつもりでも、半年もやり取りをすれば、綻びは必ず出る。その綻びを一本の線につないでいく。この作業の中身は、明かせない。だが、こういう相手の身元をどこまで手繰れるのか、その考え方の全体像は、一度目を通しておいて損はない。→ SNSで知り合った相手を特定したい|名前・写真しかない状態から身元を辿る調査
三つめ、「被害者は自分だけか」。これが、彼女がいちばん知りたがったところだった。理由は、切ない。自分だけが特別に騙された、と思いたくない——そういう気持ちも、あったと思う。調べてみて、同じ手口・似た筋書きの被害が他にも見えてくると、話は変わる。一人の女をだました色恋沙汰ではなく、設計された、反復性のある詐欺だと分かる。そうなると、動かせる機関が増える。個人の恋愛トラブルと、組織的な詐欺とでは、警察の受け止め方が違うからだ。
動く前に、まず「保全」。証拠は、放っておくと腐る
ここで、順番の話をさせてほしい。相手を追うのと、同じかそれ以上に大事なことがある。証拠を、保全することだ。
彼女は、相談に来た時点で、一つ、間違いをしかけていた。「もう見たくない」と、相手とのやり取りを消そうとしていた。気持ちは、痛いほど分かる。だが、それだけは止めた。あの会話履歴と送金記録は、彼女がこの先どの道を選ぶにしても、土台になる。消したら、二度と戻らない。
保全でやったことは、地味だ。会話履歴を、日付とアカウント名が分かる形で、丸ごと保存する。送金の記録を、金融機関から取り寄せられる正式な形で押さえる。相手が投稿していた画像、プロフィール、消える前のやり取りを、改ざんのしようがない形で残す。「相手が消える前」に取った記録は、消えたあとでは、もう手に入らない。だから、まず固める。追うのは、そのあとだ。
なぜ、そこまで保全にこだわるか。理由は一つ。警察も、消費生活センターも、弁護士も、証拠の残っていない被害には、動きにくい。 「騙されました」という言葉だけでは、事件にならない。事実を、動かせない形で、揃える。その一手間を惜しんだ人から、選べる道が減っていく。相手を追うことと、証拠を残すことは、車の両輪だ。相手の所在をどう手繰るか、その全体像はこちらにまとめてある。→ お金を貸した相手・送った相手の所在を調べたい|連絡が取れなくなった相手を辿る
辿れた。──でも、そこからが、本当の現実だった
調査は、進んだ。写真は流用、名乗っていた名前は偽り、金の流れの先には、彼女が聞かされていた「海外のエンジニア」とは、まるで違う輪郭が見えてきた。同じ筋書きで動いた形跡も、一つ、二つと出てきた。
ここまで来ると、依頼者は、たいてい、こう言う。「じゃあ、お金は、返してもらえるんですね」。
私は、正直に答える。これが、相談員のいちばんつらい仕事だ。——辿り着くことと、取り返すことは、別の話だ。
正体が分かっても、金がすぐ戻るわけじゃない。この種の詐欺は、金を受け取る口座も、連絡の経路も、足がつかないように設計されている。金は、渡った先で、幾つもの口座を通って、あっという間に散る。相手の輪郭が見えた頃には、金そのものは、もう別の場所へ動いていることが多い。「相手が誰か分かった」と「金が返ってくる」の間には、深い川が流れている。この川を、正直に見せない業者は、信じないほうがいい。「必ず取り返せます」と言い切る相手こそ、二度目の詐欺の入り口だったりする。
じゃあ、辿った意味はなかったのか。そんなことはない。辿ったからこそ、彼女は次の一手を打てた。
一人で抱えない。機関に、正しく渡す
被害回復は、探偵だけで完結する仕事じゃない。ここが肝心だ。私たちが調べて固めた事実を、動かせる場所へ、正しく渡す。 そこまでが、相談員の役割だと思っている。
まず、警察。個人の恋愛のもつれではなく、反復性のある詐欺の疑いとして、揃えた事実とともに相談に行った。付き添いは、しない。ただ、警察が受け止めやすい形に、事実を整理して渡す。ここで、保全しておいた証拠が効いた。「消えた恋人」ではなく「詐欺の被害」として話が通るかどうかは、手元の事実の固さで決まる。
次に、消費生活センター。金銭のやり取りの経緯によっては、相談窓口として力を貸してくれる。ここは、公的で、無料で、相談者の側に立ってくれる。使わない手はない。
そして、弁護士。金の回収を現実に動かすなら、法律の専門家の領分だ。口座の凍結や、法的な手続きを検討するのは、探偵の仕事じゃない。私たちは、弁護士が動きやすいように、事実の束を渡す。誰に、いつ、いくら、どういう名目で渡し、相手の正体はどこまで見えているのか——その土台を、探偵が作る。
一つ、はっきり言っておく。この記録を読んで、「相手を突き止めて、自分で取り返しに行こう」と思った人がいるなら、それだけは、やめてほしい。ネットで晒す、直接押しかける、脅す——気持ちは分かる。でも、それをやった瞬間、被害者だったはずのあなたが、加害者の側に回る。相手が姿を消したまま、あなただけが罪に問われる。そんな理不尽を、私は何度も見てきた。取り返すのは、感情でじゃない。手続きでだ。 遠回りに見えて、それが、いちばん確かな道だ。
報告書を渡した日と、その先
数週間分の調査が、一冊の報告書になった。写真の出どころ、名乗った名前と実像のずれ、金の流れの見える範囲、他に同種の被害があるらしいこと。——彼女が、その先、警察や弁護士と話すための、土台の一冊。
渡した日、彼女は、最初のページから、ゆっくりめくった。写真のところで、指が止まった。「この顔も、この名前も、全部、別の人のだったんですね」。声は、震えていなかった。むしろ、落ち着いていた。「消えたんじゃなくて、最初からいなかった。そう思えたら、なんか、楽になりました」。
金が全部戻ったか、と聞かれると、答えは重い。この種の被害で、渡した金がまるごと手元に返るのは、正直、簡単じゃない。でも、彼女は、次の一歩を、自分の足で踏み出せるようになった。警察に行き、弁護士に相談し、できることを、一つずつ。大事なのは、被害の全額が戻るかどうかより先に、「自分は騙されたんだ」という事実の上に、両足で立てるかどうかだ。 相手の顔が偽物だと分かって、はじめて、彼女は自分を責めるのをやめられた。あなたが悪かったんじゃない。相手が、そういう仕事をしていただけだ。
マッチングアプリで始まる被害は、恋と金が絡まっているぶん、被害者ほど「自分にも落ち度が」と抱え込む。抱え込まなくていい。この手口の全体像と、あなたのケースへの当てはめ方は、こちらにまとめた。読むだけで、少し、輪郭が見えるはずだ。→ マッチングアプリで知り合った相手の被害|連絡が取れない・お金を送った・相手を確かめたい
もし今、この記録を、笑うしかないような気持ちで読んでいる人がいるなら。相手は、消えていない。消えたように、見えているだけだ。名前の裏に、口座の名義に、生身の人間はいる。全部を取り返せると、安請け合いはしない。でも、「誰なのか」を確かめるところから、あなたの次の一歩は、始められる。一人で、抱えなくていい。
*この記録は、実際の相談業務をもとに再構成した読み物であり、依頼者が特定されないよう、複数の事例の要素を組み替え、細部を変えて書いています。調査の具体的な手法については、依頼者保護のため、あえて濁している箇所があります。*
読んで、少し気持ちが動いたら。
相談は無料です。決めてからでなく、迷っているうちに話してくださって大丈夫です。